2013年3月4日月曜日

理論的に憲法改正手続きを変えられるのか


【憲法改正の限界】

憲法理論的に、憲法改正手続き規定は、改正することができないのではないか、という議論がある。憲法学の中では大きな論点ではあるが、ここでは96条の改正に関係する部分についてのみ簡単に触れる。

この議論は、法理論上の話で、現実には、国家権力等によって、いかなる憲法の規定でも変えようと思えば、憲法の手続きに則って変えられてしまう危険は常にある。

憲法改正に限界があるか、について無限界説と限界説に分かれている(芦部2007、378-381頁)。

無限界説:憲法改正手続によりさえすれば、いかなる内容の改正も法的に許されると説く。

この説を支持するのは、次のような理論である。
国民の主権は絶対である(制憲権は全能であり、改正権はその制憲権と同じである)と考える理論
憲法規範には上下の価値の序列を認めることはできないといと考える理論


限界説:憲法改正には、法的な限界が存在すると説く。

多様な論旨がある。


[二元論的限界論]
制憲権(憲法制定権力)が、常に改正権(改正権力)よりも上位にあるので、改正権によっては制憲権が選択した憲法の基本原理を変更できない、とするもの。憲法の法的同一性、継続性の破壊を否定する。憲法を変動させる作用を、二つの権力に二分して、「上下、前後の異質な権力」と捉える立場。

[根本規範論的限界論]
憲法の中に上位の憲法規範の存在を認める。

[自然法論的限界論]
改正の限界に自然法を措定して論じる。

通説は限界説であり、憲法96条の定める憲法改正国民投票制について、国民の制憲権の思想を端的に具体化したものであり、これを廃止することは国民主権の原理をゆるがす意味をもつので、改正は許されないと一般に考えられている。

したがって、自民党の改憲草案は、国会での発議要件の部分を「3分の2」から「過半数」に変えるもので、国民投票制を廃止する案ではないから、この点に関しては、限界説を採る憲法学の通説的には受け入れ難いものではない。

改正規定そのものを抹殺するような改正や、憲法の基本原理の否定に繫がるような改正は許されないが、それ以外の改正は法理論的に可能であると主張するものが多い。

改正権の根拠規定が改正手続の改正を一切禁止していると考えなければならない必然性はない(浦田2006、434頁)。

私は、このような議論は深く突き詰めても空想的になってしまうのであまり意味はないから、現実的に、国家権力側がどのような憲法改正も為し得るという前提に立った上で、国民が望ましいと思う憲法をどう実現するか、という議論をすべきであると思う。

無限界説か限界説か、限界説ならばどこまでが限界か、といった議論は難解であり、憲法観にかかわる問題である(※1)。また、限界論を採る場合、それにどのような効果があるのかについても議論がある。




【論理的矛盾?】







【参考文献】

芦部信喜著・高橋和之補訂『憲法 第四版』岩波書店、2007
上田勝美『立憲平和主義と人権』法律文化社、2005
浦田一郎「第96条」小林孝輔・芹沢斉編『基本法コンメンタール第五版/憲法』日本評論社、2006

※1 なお、私は、現時点では、現在に生きる人を基準として、制憲権と同レベルの改正権を認めつつ、その交易正当性を根本規範として自然権的に構成した限界説を採っている。だが、この説を採ったからといって、憲法外の「実力(主に武力)」が存在することにかわりないから、憲法保障のあり方は、これとは別に考える必要がある。

0 件のコメント:

コメントを投稿

たくさんのコメントお待ちしています。どうぞ宜しくお願いします。